NHK大河ドラマ『青天を衝け』は明治時代に入ってますますおもしろくなってきた。主人公・渋沢栄一(吉沢亮)が一橋家に仕え平岡円四郎(堤真一)に付けられて名乗っていたのが「篤太夫」。しかし円四郎亡き後、薩摩や長州による新政府軍に追われて失墜した主君の徳川慶喜(草なぎ剛)に「これからは自分のやりたいことをやれ」と言われ、では名前を戻したいと申し出て許しをもらい「栄一」として国の真の発展のため奔走しだした。
『西郷どん』(2018年)では西郷吉之助(西郷隆盛)の目線から幼なじみで朋友の大久保利通と袂を分かち西南戦争で西郷が戦死するまでを描いたが、『青天を衝け』では大久保や西郷の存在が国を発展させようとする渋沢栄一にとって障壁となっている。『青天を衝け』には登場しなかったが坂本龍馬が天国から見ていたらどう思っただろうか。
・・・と『青天を衝け』は佳境に近づいているので日曜夜8時からは大好きなバラエティを忘れて楽しんでいる。
2024年度上半期に一新する新紙幣の1万円札を飾ることが発表されてから渋沢栄一が注目されたことで「ミュージシャンの鈴木慶一は渋沢栄一に似ている」と耳にするようになった。鈴木慶一自身は2018年10月に「似ていると時々書かれる渋沢栄一記念館へ」とツイートしているので、以前から話題になっていたらしい。
深谷に寄り、似ていると時々書かれる渋沢栄一記念館へ。さらに生地、中の家、尾高惇忠の家、田島弥平旧宅、周辺六軒。ジャパニーズシルクの道路ほぼ完全制覇。群馬埼玉境い目を歩く。k1 pic.twitter.com/EjheScS7uP
— 鈴木慶一 (@keiichi_suzuki) October 11, 2018
元ピチカート・ファイヴの野宮真貴も「そっくり過ぎ」と感心する鈴木慶一と渋沢栄一
リオ・パラリンピック閉会式(2016年)に続き東京五輪の閉会式(2021年)でアレンジバージョンがBGMに流れた『東京は夜の七時』のオリジナルは、ピチカート・ファイヴが1993年12月に出したシングル曲だ。3代目ボーカルの野宮真貴が8月30日、ブログで写真を並べて「巷でも噂されていますが、鈴木慶一さんと渋沢栄一さんがそっくり過ぎますよね」というほど似ている。
野宮真貴がソロデビューした後、1982年に結成した音楽グループ「ポータブル・ロック」について「洒落た名前をつけてくれたのは、私のデビューアルバムのプロデューサーでもあるムーンライダーズ鈴木慶一さんでした!」と紹介している。鈴木慶一を中心にムーンライダーズが結成されたのは1975年なのでJ-POP界の宝とも言える存在だが今なお現役なのはすごい。
鈴木慶一50周年、70歳でライブやドラマに出演!この夏閉館した天神イムズでは20周年ライブをしたことも
今年は鈴木慶一 音楽家生活50周年記念アルバム『MOTHER MUSIC REVISITED』が1月27日にリリースされ、3月27日には小林克也の80歳バースデーを祝うイベント『小林克也&ベストヒットUSA DOUBLE CELEBRATION ECSTASY NIGHT!!!』に出演している。
9月から放送されたオダギリジョー脚本・演出によるNHK総合ドラマ10『オリバーな犬、 (Gosh!!) このヤロウ』では県警のベテラン飼育員・志村役を務め、メインキャストの警察犬・オリバー(オダギリジョー)や鑑識課警察犬係・青葉一平(池松壮亮)を盛り上ており、番組公式SNSには「鈴木慶一さんをキャスティングするとは!流石です」、「あまりにあまりに役柄にしっくりなお姿でした」と反響があった。
8月27日で70歳になった鈴木慶一だがますます元気そうである。今年は8月31日に福岡市・天神の商業施設「イムズ」が都心部再開発のため惜しまれながら閉館したが、鈴木慶一は同施設でライブを開催したりイベントに出演してきた。
1996年7月にムーンライダーズ20周年コンサートを行い、、1999年4月に3日間開催されたイベント『LIKE A WOODSTOCK』に南佳孝、高野寛参加ら日本のミュージシャンと参加してジョン・サイモン、ハース・マルティネスと共演。2001年4月にはムーンライダーズ春のツアー『六匹侍Spring大行進』が15日(日)に福岡イムズホールからスタートした。
天神イムズは32年の歴史に幕を下ろしたが、鈴木慶一は50周年でなお意気盛んである。特に今年は「日本経済の父」と呼ばれた渋沢栄一の素晴らしい功績が『青天を衝け』で広く知られることになり、渋沢栄一にそっくりと言われてきたこれまでで一番誇らしく感じていることだろう。
(※トップ画像は「イラストAC」より:しまたけひとさん本人が制作したことを承認し、安全にご利用いただけることを確認)