【戦争落語】天皇陛下バンザイ
水木しげる
ぼくは生まれつきなまけ者で、楽して自分の好きなことをして 生活しようと子どものときから思っていた。
そういう人間だから生まれつき“政治”というものにあまり関心がなあkった。
しかし、いろいろといじめられたために ぼくは軍国主義、そして戦争と いったものがきらいになってしまったのだ。
最初は小学校のころ、いつも朝寝坊して おくれついていたわけだが、昔は小学校に、御真影(ごしんえい)といって 天皇陛下の写真がおさめられている小屋があり、その前を通るときは、頭を下げて一礼して 通らねばならないという規則があった。
ぼくはいつも学校におくれたものだから 敬礼をしないで走って通ったものだ。
それを校長先生に見つかって校長室にたたされた。
子どものとき校長室に立たされたぐらいでは、べつに天皇陛下がおそろしいとは思わなかったが、おそろしかったのは軍隊だ。そのころは戦争だったから 天皇はカミサマだった。
“おそれおおくも陛下にあらせられては”なんていう言葉が上官の口から出た場合、いちはやく察知して“気をつけ”の姿勢をとらなけらばいけない。
万一その姿勢をとらない場合は、半殺しの目にあうというしだいだったから、「おっ」という言葉が口から出たらサッと“気をつけ”をしたものだが、ときには人間だからほかのことを考えていたこともある。
そうするとビンタがサクレツするのだ。
ひどかったのは、天皇陛下の写真がのっている新聞を踏みつけたというので なぐられたことがあったが、ぼくがただの新聞紙だと思ったのがいけなかったのだ。
とにかく軍隊というところは、天皇陛下の名をつかってビシビシなぐるからおそろしかった。
理由があってなぐられるのならいいのだけれども、新聞を踏んだからとか、“気をつけ”が少しおくれたからといって なにも半殺しにするほど なぐらなくてもいいと思うのだが、とにかく野戦と称して海外に行っても 天皇陛下がついてまわる。
“おそれおおくも”とやられると、敵の飛行機が頭上にいても“気をつけ”をして話を聞かなければならない。
栄養失調やマラリヤで 元気がないのに、いちいち“気をつけ”をやらされるのは かなりしんどかった。
ぼくは個人的に天皇陛下に 悪意をもっているわけでもないが、ただその名の下にいろいろいじめられたから、動物がいちど鉄砲玉で撃たれると“鉄のニオイ”をこわがるように、昔の軍国主義にかえることは なんとなく生理的にいやなのだ。
最後に天皇陛下の名の下にいじめられたのは、敵に襲われて命からがら本隊に帰ったとき、大切な“陛下からいただいた銃”をもっていなかったために、ひどくいじめられたことがあった。
「命が助かったんだから、小銃ぐらいなんですか」といった顔つきをしたいたのがいけなかったのだ。
“陛下からいただいた銃は命よりも重く、命は羽毛よりも軽い”というのが 当時の考えだから(いや、当時としてもどうしても理解できないことではあったが)、「とにかくこの次は真っ先に死んでくれ」というのが中隊長の命令だった。
そんなようなことで、“死”を待っているうちに終戦になったという感じだったが、まあ、あまり意味のない戦争は再びしてくないことではあるが… しかし、現在、この地球上の一角をしめて一億人の人間が生息していれば、(昔の軍隊が復帰することはお断りだが)なにかがおこったときは、やはり、自分の国は自分らの手で守らなければいけないと思う。
しかし現代の戦争は“核戦争”という前代未聞の戦争だから、少々の軍備では気休めていどにしかならない。
ほんとうに国を守ろうとすると、それこそ “国が亡びるほど”の金がかかるから、結局、昔みたいな考えで国防というのは考えられない。
世界中が仲よくするとか、世界中で核軍縮するとか、要するに“戦争のタネ”みたいなものを なるべくおこさせなくするのも国防ということにもなり、とにかく前代未聞の複雑さだ。
しかし、悪いこと(すなわち核戦争)がおきないとは誰もいいきれないことだから、このあたりで誰もが真面目に考えなければならないことだと思う。
(『新地平』’82年3・4月合併号)
※『文藝別冊「水木しげる」妖怪、戦争、そして人間』より
トップ画像は『NHKスペシャル 鬼太郎が見た玉砕 ~水木しげるの戦争~』DVDのジャケ写より